エッヘン、散人はいま思うところがあって、山中湖の図書館で借りた本で老子さまの言葉を読んでいる。明治書院から『新釈漢文体系』という大部の書籍が出ているのだが、こういったものは図書館でないと読めない。老子の残した言葉はそれほど多くはないので、二三日もかければ全部読める(はず)。最初の方に妙に気になる文章が出てきた。これ:
天地不仁
以萬物為芻狗
聖人不仁
以百姓為芻狗
天地不仁
萬物を以て芻狗と為す
聖人不仁
百姓を以て芻狗と為す
解説によれば「芻狗」とは「藁の犬」の意味。祭祀に使用し儀式のときは崇められるが儀式が終わると道に捨てられてゴミとして扱われる。この文章の大意は、天地はいわゆる仁などという人間的な愛情は持っていない。天地は万物を使用すれば捨ててしまう藁の犬のように扱う。聖人も同じで、彼は万人に対して仁などという愛情を抱いているわけではなく、人が藁の犬に対するときのような態度で万民を扱う、といったものだそうだ。まさに「身も蓋のない」現実を描いている文章だと思うが、こういう虚無的な考え方って、いいな。
その後に日本の学者による浩瀚な解説が数ページにわたって続くのだが、そんなものは読み飛ばした方が面白い。それより「藁の犬」が気になった。
昔々見たアメリカ映画で、とてもショックを受けた映画があった。温和しい人も殺さないような学者が妻の生まれ故郷であるイギリスの田舎に越してくる。地元の無教養で暴力的なイナカモノとのトラブル。温和しい学者の旦那も、妻を強姦されたり、友人を殺されたりして遂に切れて、それから目を背けたくなるような暴力的復讐行為を開始する、というお話し。あれは映画史上最強の暴力映画ではなかったか。題名は「わらの犬」。
当時のおいらには映画のタイトルの意味は分からなかったが、今日老子を読んでいて、これはひょっとしてこの老子の言葉から來ているのではないか気がついた次第。さっそく調べてみた。そうだったんですね〜。これ:
わらの犬 - Wikipedia: "『わらの犬』(Straw Dogs)は、1971年度製作のアメリカ映画である。監督はサム・ペキンパー。日本では1972年4月公開。争いを好まない平和主義者が、周囲からの卑劣な仕打ちに耐えかねた挙句、内なる暴力性を爆発させてしまうという、ペキンパーの諸作品でも特に異彩を放つ問題作である。主演は『卒業』、『レインマン』の名優、ダスティン・ホフマン。タイトルは、『天と地は無常であり、無数の生き物をわらの犬として扱う。賢人は無情であり、人間たちをわらの犬として扱う』という老子の『語録』から引用したもの。わらの犬は、“護身のために焼く、取るに足らない物”という意味。"
今日は勉強できて、とても有意義な日となった。
それにしても、西欧人は老子とか荘子が好き。旧約聖書と似ている部分があり親近感を感ずるのだろう。それに対して、日本人と韓国人は孔子さまが好き。儒教の影響はいまだに強烈である。外国の、それも一つの宗派を、国家の原理としてしまった民族の悲しさでもある。
本家の中国人はどうかというと、どっちも信用していないみたいなところがあり、面白い。本家の余裕か。